「死についての思い」と親へ言ったこと
私は、幼少期から親から虐待を受けて育ちました。
厳密に言うと小学校5年生まで虐待を受けてきました。原因は勉強ができないからです。
父から「バカヤロー!」と怒鳴られて殴られ、虐待を受けながら勉強を毎日のように指導されてきました。
私は泣きながら指導を受け、母も誰も私を助けくれませんでした。
私は、小学校でもいじめられていたため、ストレスで白髪が増えていきました。
小学生なのに白髪がたくさん
いっそうのこと、消えてしまえば楽になるかなと思いました。
死ぬってどういうことだろうか。。。
死とは「無」の世界であり、きっと真っ暗なんだなと、そして宇宙に放置されたような状態なのかな。いや、真っ暗という認識もない状態なのかな。と死について考えるようになりました。
死とは真っ暗で「無」の世界なのかな・・・
なので死後の世界や目に見えないものなど、興味がありました。
ただ、「無」の世界を感じた時に、とても怖くなりました。
やっぱり「無」の世界にいきたくないと。
しかし、このままだと私は、持たないし、自分が崩壊すると感じました。
なので勉強のできない私は、父にお願いをするのです。
「塾に行かせてほしい・・・」と言いました。
塾に行かせてほしいです・・・
小学校6年生の時でした。学校のクラスでも塾に通っているは数人いました。
勉強のできない私は、塾という存在を知り、塾ならよく勉強を教えてくれると思ったのです。
なので、私は親に塾に通わせてほしい。とお願いをしたのです。
父も勉強ができない私をこのままではいけないし、父がいくら勉強を教えても理解できない私を見て、塾に通うことを許可してくれたのです。
私は、今までの勉強を取り戻すかのように勉強に励みました。
塾の先生は、教え方がとてもわかりやすく、塾では予習として学ぶので、学校の授業は復習になるのです。
塾ってすごいなと感心してしまいました。
それから中学校3年生までの4年間。塾に通うことになります。
決して優等生ではありませんでしたが、塾に通うことで劣等生ではなくなりました。
父からも勉強に関しては暴力を受けることもなくなりました。
私は少し自信を持つことができ、友達もできるようになりました。
いじめられることもなくなりました。
自然と頭の白髪もなくなっていきました。
やっと普通の学校生活が送れるようになりました。
中学校では、軟式テニス部に入り、練習はきつかったですが、体力はつきました。
部活で疲れながら、夜は塾に通い、夜は勉強して寝る生活。
大変でしたが若く体力もあったので充実していました。
父からの暴力は無くなり、それはよかったのですが、夫婦喧嘩は収まらず、毎日のように喧嘩をしていました。
私はそれを見て、もし自分が結婚し、家庭を持つなら夫婦喧嘩もなく、子供には絶対に手をあげない親になろうと思いました。
家庭を持った今は子供に手をあげたことはありません。
私のような辛い思いは絶対にさせないと。。
私には、弟が一人いますが、私が勉強を教えていました。
父が教えると暴力を振るうので、弟にはそんな辛い思いはさせたくないと思い。
弟が中学校を卒業するまで私が教えていました。
弟は、塾には行かず、水泳のスクールに通っていました。
弟は、高校を水泳の推薦で私立高校に無事に入学することが出来ました。
私は弟が無事に高校へ進学できたので、兄として、してあげられることはしたなと、ホッとしました。
私は、県立の高校に入り3年間バドミントン部に所属し、良き青春を過ごしました。
バドミントンはとても実力のある先生から指導を受けることができ、私もそれに応えるように実力を発揮し、地区大会で個人3位に入賞することが出来ました。
そんな高校生活も3年間があっという間に過ぎてしまい、いよいよ進路の選択の時期にきました。
そこで、私は唯一成績が良かったのが、「美術」でした。
美術は楽しくて、なんでもすぐ絵が描けてしまうのです。
私は、迷いもなく美術の学校に進学したかったのです。
そして親に相談をしたのです。
すると親から返ってきた言葉は。。。