いじめられていました
私は毎日、夫婦喧嘩の中で育ちました。
父は毎日のように酒を飲み、母を怒鳴りつけます。
母も負けじと言い返します。
私は、それを見て自分が怒られないように身を潜めて生活をしていました。
なので私は言いたいことも言えない。常に我慢をしている子供でした。
性格も大人しく目立つこともありませんでした。
夫婦共働きのため私は保育園に入園しました。
保育園ではおやつの時間になると牛乳とビスケットが出ました。
それを食べようとすると、前に座っていた園児が、私のビスケットを取って割って私の牛乳の入った牛乳瓶の中に押し込むのです。
私はビックリしましたが、何も言い返せず、仕方なく割れたビスケットが入った牛乳瓶を飲むのです。
牛乳に浸ったビスケットは牛乳瓶の中でグニョグニョになってしまい食べることが出来ません。
中の牛乳も粉々のビスケットが混ざってしまっているので飲みにくいのです。
それから毎日、その生活が続きました。
時には周りの複数の園児が私の牛乳瓶にビスケットを入れるのです。
「やめてくれ!」って言えないのです。大人しくて気が弱いのです。
それからお散歩の時間になります。
散歩で園児がみんなで並んで園周辺を歩くのですが、私の後ろを歩いている園児が前を歩いている私のかかとをわざと踏むのです。
痛い!
私はかかとが痛いし、靴は脱げるし、本当に憂鬱な時間でした。
散歩中に私は心でずっと祈っていました。
『早く母親が迎えに来ますように・・・』と。
いや、母親でなくても弟でもいいから誰か早く迎えに来てくれと、毎日毎日、心で祈っていました。
でも誰も迎えには来ません。
母親が迎えに来るまでは、誰とも遊ばず、ただ一人で身を潜めて、母親が夕方に迎えに来るのを待っていました。
そんないじめられた保育園生活が毎日続きました。
周りの園児がビスケットを牛乳瓶に入れて来たのかはわかりませんが、今思えば保育園の園児はみんな心が寂しかったのだと思います。
幼い頃から保育園に預けられて、きっと親にもっと甘えたかったのでしょう。みんな心で我慢していたのかもしれません。
当時の保育園の先生も、いじめを認識していたかはわかりません。
ただ何もしてくれませんでしたし、私も先生や親にも誰にも話しませんでした。
おそらく親に話したところで、何もしてくれなかったと思います。
家では毎日夫婦喧嘩が絶えませんでしたし、父親に言ったところで、「いじめられたらやり返して来い!」ぐらいしか言わなかったと思います。
私は、保育園はそういうところなんだと思ってずっと耐えていました。
一方、私の弟は幼稚園に通っていました。
幼稚園はみんな仲良しで制服もあってキラキラ輝いて楽しそうに見えました。
実際、弟も楽しそうに幼稚園に通っていました。
私も幼稚園に行きたいと言ったのですが、叶いませんでした。
そんな、いじめられた幼少期でしたが、保育園を卒業して小学校に入ります。
気の弱い私は小学校に入ってもいじめられていました。
通学中に年上の女の子が、田んぼの藁(わら)を私のランドセルの上にずっしり乗せるのです。私は重たいし、藁が背中に入ってチクチクして我慢できません。
重たい。チクチクする。。
でも藁を取るとまた乗っけられるのでそのまま歩いて通学していました。
そんな生活も小学校 高学年になると自然となくなって行きました。というか自分は目立たないようにしていました。
でもしばらくすると、仲のいいお友達もできるようになりました。
先生もとても良い担任にあたり、保育園の先生とは全く違う感覚の先生の存在を知ることが出来ました。
しかし、家に帰ると毎日の夫婦喧嘩は止まりませんでした。
それから家で地獄の生活が始まるのです。